真言宗御室派 為楽山 大空寺
(行基菩薩開基の寺・攝津八十八ヶ所 霊場の第六十三番札所 ・ 伊丹七福神の布袋寺)
第四十五代、聖武天皇の御代(七ニ四〜四九)に行基菩薩によって創建された。
寺に伝わる[緑起書](貞享三年・1686年)によると織田信長の荒木村重の討伐のさい兵火により
藤原時代の本尊、聖観世音菩薩を焼失。その為、時の住職(十五世宥賢僧正)は脇侍の毘沙門天と
延命地蔵菩薩(ともに藤原時代)のうち延命地蔵菩薩を本尊とし本堂におまつりした。
また、聖観世音菩薩を再興して、貞享ニ年(1685)建立の観音堂(現・不動堂)に安置し、その脇侍として不動明王と
毘沙門天、そして伊丹七福神の一神の布袋尊をおまつりした。
なお、 本尊の延命地蔵菩薩、
観音堂の聖観世音菩薩,
不動明王、毘沙門天はこれまで秘仏であった。
[緑起書]
平成七年一月の阪神淡路大震災により、鎌倉時代の代表的建築物といわれた鐘楼が倒壊。
また貞享年間に創られた本堂は修復不可能ほどの被害を受けました。
大きく傾いた本堂 倒壊した鐘楼
平成十二年十二月まず鐘楼が再建され、ついで平成十四年五月、長く再興を望まれた本堂が完成した。
本尊に聖観世音菩薩、脇侍に延命地蔵菩薩、毘沙門天をおまつりし、
観音堂へ不動明王を安置する。(現、不動堂)
新鐘楼 新本堂
[ 境 内 ]
復興された大空寺は、新本堂、新鐘楼、不動堂、納骨堂、庫裡、山門、東門、墓地からなっている。
境内南側には、樹齢数百年といわれる松の樹があり、十五メートル程も有るその枝はまるで仏法を
守護すると言われる龍の姿を思わせます。
龍の松
[ 行 基 菩 薩 ]
天智七年〜天平勝宝元年(六六八〜七四九)社会事業に尽力した奈良時代の高僧で、各地に橋や道
餓死する人々を救う為の布施屋を建て、民衆への仏教伝導にも努めた。
時の政府からの弾圧にも屈せず全国を回り民衆救済の活動を続けた為、彼を慕って従うものは一千人
にも及び、生きながら「行基菩薩」と称された。
聖武天皇の信任厚く特に七四三年東大寺大仏殿造立に当って勘進に努め、その功績により日本初の
最高僧階の大僧正に任ぜられました。
行基を開基と称する寺院は全国で千四百ヶ寺にも及び現代にまでその道徳は受け継がれています。